三寶寺の栞
八幡山 神明院 三寶寺
 八幡山神明院と號す、浄土宗、芝増上寺の末寺で嘉慶年間(一三八七〜八)に廣譽如海の草創したものと伝えているが、十四世法譽隆元は「開山深蓮社廣譽上人真阿大和尚、明徳元庚午年起立、境内一反余御除地、本堂南向五間六間」と報告控をものし、明徳元年(一三九○)の起立と述べている。中興十二世専譽単求、正徳六年(一七一五)寂。十五世接譽本堂再建(一七二七)、その後幾変遷を経、明治時代荒廃が進み戦時中には無住も経験、戦後農地法では田畑のすべてを失い、昭和五十五年頃より墓地の整備計画に始まり昭和六十年本格的な三寶寺復興整備計画により鐘楼堂、本堂(阿弥陀堂)、花御堂(釈迦堂)ホール、ギャラリー、庫裡及び境内の整備と続き、この長帳場の事業が檀信徒の絶大なる協力支援により達成。現在も整備進行中。
本堂(御影堂)棟梁内田定春氏
 平成大改築勧募により平成二年三月より平成六年十一月落慶まで、三年八カ月要し完成。南向七間七間、位牌堂を背負う形式。唐破風銅板葺木造。欅額揮毫 浄土門主 中村興隆知恩院法主台下御染筆。基礎部工事は譲原建設株式会社。
平成十五年 欄間(鳳凰に桐花の吉祥図彫刻)寄進・譲原建設(株)社長 譲原 彰氏。


本 尊 阿弥陀三尊 佛師吉田幸蔵作  
 阿弥陀如来 半丈六座像 
 脇立観音 勢至立像(各長二尺五寸)本堂平成大改築に当たり記念制作依頼 寄進・石塚武典氏。瀬戸省蔵氏。
奥本尊 阿弥陀三尊
 阿弥陀如来 立像(長二尺六寸)江戸麹町栖岸院開山真入作
 脇立観音、勢至立像(各長一尺一寸)
 善導、法然両大師(各長二尺)
十一面千手観音像 お釈迦さまのお生まれの国ネパールより招来の鋳造佛(長三尺)スレンドラ・サキヤ氏ご縁。
地蔵菩薩 檜材木彫 像は増上寺所化玄寮寄附 相模風土記によると地蔵堂におまつりされていたと思われる
四天王像 檜材木彫 持国天・広目天・増長天・多聞天、寄進・平野 毅氏及び姉弟一同


六地蔵尊 石造佛(年代不詳)
 檀陀地蔵、寶珠地蔵、寶印地蔵、持地地蔵、除蓋地蔵、日光地蔵の六地蔵
法然上人御身影 一幅
 肉筆彩色御身影 本堂落慶記念制作
唯願上人六字名號石碑(長二米半)
 安政四丁巳(一八五七)十月の銘あり
老樹
 銀杏樹 二株 丈高約二十米、周囲三米(推定樹齢六百年余)
 蘇 鉄 一株 丈高約三米半
 百日紅 一株 丈高約五米

水屋上屋 檜造 棟梁野地耕造氏 昭和五十一年 寄進・譲原静雄氏 
石彫・蓮の水屋 境内及び墓所、両水屋寄進 平成二十年 (株)ティラド社長・宮?總一郎氏

八幡稲荷荼枳尼天
 昭和四十三年松ノ木伐採の際、石造祠を出土 「小八幡村十八世換譽上人宝暦十二壬午年(一七六二)八月朔月建之」の銘あり 相模風土記に稲荷社ありと見えるが詳細は不明、このご縁に除災招福、抜苦与楽を願い豊川妙巖寺より御分身をお納めし境内に移し祀り八幡稲荷荼枳尼天と銘す。
 荼枳尼天とは、大黒天に所属する夜叉で自在の通力をもって六ヶ月前に人の死を知り、人の心臓を食べると言われ、又、人の心臓の垢を食べ清浄にするところから如来様が形を変えた姿でもあると言われている。日本では中古以来、荼枳尼天の本体をキツネの精と見立て稲荷の本体として信仰が盛んである。 ご真言は、「オンシラバッタニリンソワカ」これを要約すれば、この真言を唱えることによって、真心は何処までも通じてその心は正明なる戒力により悪事災難を除いて福徳智慧を得て、苦を抜いて楽となり、悲しみを転じて喜びとなることが必ず成就するという意味である。   

鐘楼堂、梵鐘 黄鐘の鐘
 平成の本堂大改築への礎となった建造物(棟梁、内田定春氏)昭和六十二年春落慶、鐘の音調は一二九ヘルツの黄鐘調、重量、二百貫、外口二尺八寸、鋳造、昭和六十二年二月二十日京都唐渡町鋳匠岩澤宗徹師、形態は井上三綱画伯の作品「黄鐘調」のレリーフと遺髪が鋳込まれた美術梵鐘。
 徒然草に「およそ鐘の音は黄鐘の調べなるべし、其の無常の調子祇園舎の無常院の声なり」とあります。
 母親が低い声で子守歌を唱いながら赤ん坊を寝かしつけるあの音程を黄鐘調と言い、元々東洋の雅楽の音程で「すべての生きとし生けるものが平和に幸せになりますように」との願いを込め銘文「諸行無常 諸法無我 涅槃寂静」が鋳込まれ制作されたもの。基礎工事は譲原建設が元請けとなり石積等、鈴木組鈴木兄弟の尽力大。

足柄三十三観音霊場 第十三番
 「一筋に 二世を願いて 参る身は 三つの寶を 得るぞ尊き」 三寶寺御詠歌

半鐘
 戦争中供出され当山近くの火の見櫓に使われいたものを懇請、昭和三十五年、寺に返還されたもの。 
 享保十二年(一七二七) 三寶寺十五世接譽代の銘あり

花御堂(釈迦堂)
 お釈迦さまの降誕をお祝いするお堂、お釈迦さまの生誕像を安置したホールは自宅に変わる通夜葬儀告別式場
として法事や諸会合、各種教室として、宗旨宗派にとらわれない地域社会、文化に貢献できる多目的なホールと
して開放。 棟の上にはブッダ・アイが東西南北を慈しみの心でご覧になられている。

ギャラリー花御堂内『音茶房・邪宗門』『花御堂こぶた』
 佛のみ教え「一隅を照らす」意味から寺でなければ出来ない情操・食育、芸術文化活動の場として企画展示の外、衣食住にかかわる文化の活動を進めるギャラリー花御堂内に今春、鎌倉から小田原へ邪宗門を移転新装し、新規に「花御堂こぶたを併設、ここを拠点に二十一世紀『三寶寺てらこや』をスタート。

寺寶 紺紙金泥利剣名號 一幅 伝空海筆
 是十五世接譽立堂托鉢修行の力にて本堂再建せしにより其の功を賞して洛東知恩寺四十四世聲譽此の一幅を寄進し、正・五・九月に百万遍を執行すべき由、裏書きあり、添状に曰く、百万遍利剣名號者為除滅天変地妖萬従朝廷賜干當寺 是弘法大師筆跡也 洛東知恩寺四十四世聲譽 花押
 国道一号線よりの参道入り口には、その旨を刻んだ案内の石碑が据えられている。

                    小田原市小八幡二ー十二ー二十六 三寶寺第三十二世明譽友威
                                         三寶寺    0465ー47ー2373
                                         音茶房邪宗門 0465ー47ー0202
                                         花御堂こぶた 0465ー47ー8787
                                         フアックス  0465ー47ー6520
平成九丁丑年正月吉日 参考文献 寺誌、相模風土記、小八幡村村誌
平成二十一己丑年弥生吉日 追記

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